通訳のお仕事:ローマ・イタリア歌劇団の来日公演

 

ローマ・イタリア歌劇団によるプッチーニ《ラ・ボエーム》の日本公演ツアー(HPはこちら)に通訳として参加しました。

舞台裏の仕事はひさしぶりで、移動が多いツアーだったので体力が持つかが一番の心配でしたが、おかげさまで何とか皆に迷惑をかけずに13都市14公演のツアーを最後まで皆勤出来ました。

ローマ・イタリア歌劇団は、イタリアのオペラ歌手養成機関であるスポレート歌劇場が母体となり結成された歌劇団です。スポレート歌劇場に関しては、私が以前書いたこちらの記事をご参照下さい。

今回のツアーは舞台裏の日伊の技術スタッフをつなぐイタリア語通訳としてのお仕事でした。同じ仕事をしている者同士、通訳がいなくても理解し合える部分も多いテクニカルの皆さんですが、とてもフレンドリーな方が多く、気持ちよく仕事をさせていただきました。

 

 

 

この若い歌手を中心にした《ラ・ボエーム》公演、今回、私の心に残ったのが以下の点です。

1. これぞイタリア、というサウンド。なにせ舞台裏の通訳ですから、舞台を正面から見る事は出来ませんし、音も仕事の合間に聴き齧っているだけです。しかし、そこにあるのは紛うかたなきイタリアン・サウンド。まずは指揮のカルロ・パッレスキさんの情熱的な音楽作りが凄かったです。ロシアでバレエ《白鳥の湖》を聴いた時にも思ったのですが、ここまでやる?と思う、歌い過ぎるくらいの瞬間が素晴らしいのです。それは、身体の中からわき上がる音楽だから。特に第二幕のカルチェラタンの場で、ムゼッタとマルチェッロが復縁するシーンでは、毎回爆発するオーケストラを聴きながら舞台裏でいつも目頭がジーンと熱くなっていました。

2. キャストの中にジュゼッペ・ディステーファノというテノール歌手さんがいた事! 往年の名歌手、ジュゼッペ・ディ・ステーファノ(ご本家はディとステーファノの間に〈・〉があります)と縁戚関係にあるわけでは無いけれど、同じシチリア島出身、しかも生まれた土地もご近所だそうです。ディ・ステーファノよりも少し明るい音色のテノールで、ああ、太陽が一杯、という声、とでもいいましょうか。レチタティーヴォ(台詞的歌唱部分)の自然さ、そして東京文化会館で聴いたアリアの煌めくフレージング。素晴らしかったです。ミミでは名歌手カルメラ・レミージョがやはり歌役者として群を抜いていましたが、スポレートやスカラ座アカデミーなどで学んだキアラ・イゾットンという歌手も大変な美声で音楽性も素晴らしかったです。

3. 今回の舞台装置は背景幕(ドロップ)中心で、だからこそ旅公演でも素早く装置の仕込みが出来た訳ですが、実はこの舞台美術が大変貴重なものでした。エルコレ・ソルマーニ親子という19世紀から20世紀にかけて、ミラノ・スカラ座の美術を数多く手がけた装置家一家がいたのですが、そのおそらく息子さんの方がデザインした舞台美術だそうで、来日した大道具さんによると1950年代頃の背景幕を修復して使用しているそうです。今ではもう作る事の出来ないような手描きの美しい絵で、第一幕の屋根裏部屋の窓や、第二幕のカルチェラタンの建物の窓などは別の素材の布がはめ込みで縫い付けられており、照明を舞台奥から当てる事によって窓に灯りがさすのです。そして、第三幕は雪の場面の遠近法の背景幕もとても美しかったですが、古典的なテクニックの雪が入った布がバトンに仕込まれており、ベテランの大道具さんがつなをあやつって雪を降らせるのです。詩的な雪の風景に毎回見とれておりました。

4. 最後に児童合唱団。児童合唱はイタリアから連れてくる事が出来ませんので、公演地の児童合唱団に参加してもらいます。子供好きの私としては、小さい子供がいればいる程、可愛くてたまりませんでした。それにしても、どの地の合唱団も舞台上のリハーサルを少ししただけでイタリアのオペラ歌手や合唱団員たちと混ざって立派に舞台をつとめていて、素晴らしかったです。子供たちの心にもこのオペラ出演の体験が楽しい思い出として残るといいな、と念じて見守っておりました。

 

…というわけで、舞台裏から見るオペラもやはりファンタスティックな事柄がたくさんあります。この下の写真は、来日メンバー全員がサインしたTシャツ。東京文化会館の舞台裏は来日歌劇団やバレエ団がサインやパネルを記念に残していったものが数多く飾られているので有名ですが、その仲間入りをしました。

 

2016.67